展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ピーター・ドイグ展 感想

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《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》(2000~02年)

 

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…ピーター・ドイグ(1959~)はスコットランドで生まれ、トリニダード・トバゴとカナダで育った後、ロンドン、さらに2002年以降は拠点をトリニダード・トバゴに移して活動している現代のアーティストです。日本で個展が開かれるのは初めてのことで、私も今回初めて名前を知りました。本当は今年の春に見に行くつもりで前売券も買っていたものの、新型コロナウィルスの影響で一時は行けないまま終わってしまうかもしれないと半ば諦めていたのですが…趣味や娯楽を気兼ねなく楽しめる日常って決して当然のものではないんですね。展覧会が再開されて、見に行くことが出来て良かったです。なお、現在は時間指定制のチケットが販売されていますが、前売券を持っている場合はそのまま直接会場に行って入ることが出来ます(ただし、時間指定なしなので、混雑状況によっては待つ必要があるようです。私の場合はすぐに入場できました)。
…ドイグが拠点を置いているトリニダード・トバゴベネズエラに近いカリブ海の国でイギリス連邦加盟国の一つ、人口は139万人でインド系やアフリカ系が多いようです。産業としては石油や天然ガスの輸出国ですが、写真を見るとカリブの楽園のイメージ通り、美しいビーチが印象的でした。北の大陸カナダと南の島のトリニダード・トバゴという真逆の国で育ったというのが面白いです。展示構成も、カナダの風景などを元に描いた初期の作品を中心とする第1章と、トリニダード・トバゴに拠点を移した2002年以降の作品による第2章とに分かれていて、前者は森や林に閉ざされた風景を細かく複雑な色遣いで描いているのに対し、後者は空間の奥行きがしばしば塀や壁で遮られ、薄塗りで鮮やかな色彩が特徴です。その他、ドイグが2003年から友人と共に始めた映画の上映会「スタジオフィルムクラブ」のポスターも展示されていて、小津安二郎黒澤明の作品のポスターもありました。作品数は70点で、ほとんどが油彩画ですが、近年の作品は水性塗料によるものもあります。会場内の展示作品は撮影可能、所要時間は60分程度でした。

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《天の川》(1989~90年)

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《ブロッター》(1993年)



…《天の川》(1989~90年)は湖の畔の草や木の影が夜の闇に溶け込んでいるのに対して、水面に映った鏡像は全てが鮮明に映っています。鏡像のほうが完全というのが興味深いのですが、鏡像は虚ろなまやかしではなく、水面(あるいはスクリーンやキャンバス)こそ本質を捉えることが可能であると考えているのかもしれません。雪景色の林を描いた《ブロッター》(1993年)という作品は、辺りを覆う白い雪の下から地面や水面の赤みがかった色が透けていて、覆うことで覆われる存在が意識されます。タイトルのブロッターとは吸い取り紙のことで、キャンバスに絵の具が染み込むことと、主体が絵画に没入することを意味しているそうです。池の中に佇んで水面に映る自分の姿を見ている人物は描き手とも鑑賞者とも受け取れますが、主観と客観、外界と内面、実物と鏡像との境界に波紋をもたらす自意識を象徴しているように思われます。

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《ラペイルーズの壁》(2004年)


…《ラペイルーズの壁》(2004年)は作品の前に立つと壁が手前に迫ってくるような圧迫感がありました。奥行きは水平方向に抜けていて遠近感が強調され、明るく晴れ渡る空の下で、傘を差して通り過ぎる男性の寡黙な後ろ姿に静けさと孤独感が感じられます。ラペイルーズはトリニダード・トバゴの首都ポート・オブ・スペインの中心地にある墓地の名で、描かれた壁は白、茶、灰色のまだら模様でペンキが剥げているようにも見えるのですが、現地の写真を見ると実際は石積みの壁なので、対象を忠実に描写したわけではないんですね。これは、キャンバスに塗られた絵の具という物質が「たまたま」何かの形に見える絵画表現そのものの隠喩とも考えられるそうです。

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《花の家(そこで会いましょう)》(2007~09年)


…《花の家(そこで会いましょう)》(2007~9年)はレモンイエローの家の壁や黒いブロックなど幾何学的で人工的な背景と、風に舞い散る花びらの有機的な形や不規則な動きが対比されています。画面下部に赤い字で描き込まれた“SEE YOU THERE”は壁に書かれた落書きのようである一方、作品のタイトルもしくはメッセージとして、これが決して実景ではなく、あくまで描かれた絵であることを意識させもします。家の前で佇む人物の姿は半ば透き通っていて実体ではなく、思い出の残像か、約束に託された人の思いが形を成しているようにも思いました。

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《エコー湖》(1998年)

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《夜の水浴者たち》(2019年)



…《エコー湖》は青ざめた顔の男性が湖の畔に立ち、両手を顔に当てているどこか不穏な気配の漂う作品です。男性は湖に向かって叫んでいるようでもあり、何かに絶望しているようにも見えます。背後にはパトカーが止まっているので、警察に追われているのかもしれません。《夜の水浴者たち》(2019年)を見たときは、月夜の浜辺と女性というモチーフから「夏の夜」をテーマとするムンクの作品を思い出しました。ただ、横たわる女性の青ざめた肌の色や、背後に小さく描かれた男性との距離感は、官能性や生命力からむしろ隔てられている印象で、謎めいた雰囲気の作品だと思います。

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《赤い男(カリプソを歌う)》(2017年)


…《赤い男(カリプソを歌う)》(2017年)では日に焼けた赤い肌の男性が画面中央でまっすぐ立っています。背景は常夏の島らしい晴れた空とエメラルドグリーンの海、浜辺という三つの層から成っていますが、画面右奥に描かれた青い人影はラオコーンのように巻き付く蛇と格闘していて、この作品の情景を非現実的なものにしています。カリプソはレゲエのルーツの一つにもなったトリニダード・トバゴの音楽で、島の生活に関するあらゆる話題を歌詞にしてニュースとして広める役割も果たしました。政治腐敗を批判する歌詞が検閲を受けていた時代もあるそうで、監視塔や格闘する人影はそうした歴史を暗示するものと考えることも出来そうです。赤と青の二人の男性によって現実と幻想、逞しい生命力と生命を脅かす危機、楽園のような島と歴史の陰などが対比されているように思いました。

奇跡の芸術都市 バルセロナ展 感想

見どころ

…「奇跡の芸術都市 バルセロナ展」は、スペインの中でも大きな経済力と独自の言語文化を持つ都市バルセロナにおいて、カタルーニャ芸術が最も成熟した時期、都市の近代化が進んだ1850年代から1930年代後半のスペイン内戦に至るまでの約80年間に活動した芸術家達とその作品を紹介するものです。出品作はカタルーニャ美術館の収蔵品を中心に、絵画や建築、調度品や宝飾品など約130点で構成されています。
…今回の展覧会は一世紀に満たない期間に焦点を当てたものですが、出品内容が多岐の分野にわたることや初めて知る芸術家も多く、かなりボリュームのある内容に感じました。また、19世紀後半から20世紀初頭にかけて繁栄したバルセロナを拠点に活動した建築家、芸術家たちの存在を知ったことで、これまで個別に知っていたガウディやピカソが突然現れたわけではなく、彼らが登場する土台が用意されていたこと、バルセロナ全体が芸術の活気に満ちていたなかで彼らが芸術家として成長し、その作品が生まれてきたことを理解できました。例えば、私はバルセロナというとガウディのサグラダ・ファミリアをまず思い浮かべるのですが、同時代のバルセロナには他にも優れた建築家・デザイナーたちがいて、繁栄を謳歌する上流階級が施主となり街区の顔となるような華麗な邸宅建築が競い合って作られています。建物の内装や調度品はアール・ヌーヴォーなどの影響を感じさせるもので、当時の最先端の表現を集めて作られた住宅は実用品であると同時に芸術作品だと思いました。また、そうした中でもガウディの地中海的な青と白の色彩、緩やかに波打つ肘掛けの繋がった組椅子や曲面のみに覆われた部屋など生き物のような有機的で非対称的なフォルムは改めてユニークだとも思いました。
…私は会期2週目の土曜日に見に行きましたが、落ち着いて作品を見ることができました。所要時間は2時間程度でした。会場内ではマスクを着用している方も多かったですね。現在は、新型コロナウィルス感染症対策のため2月29日から3月16日まで臨時休館しています。私が見た限りでは他の美術館も同様の対応で、しばらくはどの展覧会もお休みのようです。残念ですが、今は健康第一で再開を待ちたいと思います。

概要

【会期】

…2020年2月8日~4月5日

【会場】

東京ステーションギャラリー

【構成】

1章 都市の拡張とバルセロナ万博
2章 コスモポリスの光と影
3章 パリへの憧憬とムダルニズマ
4章 「四匹の猫」
5章 ノウサンティズマ――地中海へのまなざし
6章 前衛美術の勃興、そして内戦へ

…展示構成は時代順になっています。19世紀のバルセロナの経済的な発展を背景に、パリから最新の動向を取り入れた芸術が花開いたあと、改めて自分たちのルーツに着目した芸術が生まれ、そうした土壌からピカソやダリ、ミロといった世界的な前衛芸術家達が登場するものの、スペイン内戦が始まったことでバルセロナにおける活発な芸術活動は終わりに向かうという流れになっています。
…1章はバルセロナを取り巻く歴史的背景が解説されています。以下、簡単にまとめると、バルセロナは18世紀初頭のスペイン継承戦争ハプスブルク家を支持して敗れ、政治的には自治権を失いますが、スペインに吸収されたことでアメリカ植民地との貿易に参入できるようになり、また、この時期から繊維産業が発展したことで経済的に成長します。19世紀半ばになると市街地を取り囲んでいた古い市壁、さらにスペイン継承戦争後にバルセロナを監視するため築かれたシウタデリャ要塞も取り壊され、都市の整備と拡張が推進されました。近代都市となったバルセロナでは1888年、スペイン初の万博も開催され、カタルーニャの人々は誇りと自信を取り戻し、バルセロナは国際的な知名度も獲得しました。
…2章では19世紀末から20世紀初めにかけて三人の建築家が競い合うように改装に取り組んだ上流階級の住宅建築、ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルク《カザ・アマッリェー》、リュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネー《カザ・リェオー・ムレラ》、アントニ・ガウディ《カザ・バッリョー》について、映像による紹介のほか、外装の装飾タイルや椅子・テーブルなど調度品の実物が展示されています。バルセロナの繁栄を象徴する三つの建物が立ち並ぶ街区は、ギリシャ神話の「パリスの審判」に準えて「不和の街区」と呼ばれているそうです。しかし、他方でバルセロナの産業を支える労働者層は過酷な環境で労働に従事していました。ジュアン・プラネッリャ《織工の娘》(1882年、1章に展示)は、まだ幼い少女が工場で働く姿を写実的に描いています。富裕層と労働者層の対立は1893年11月にリセウ劇場で、1896年6月には聖体祭の行列時にそれぞれ爆弾テロ事件を引き起こし、多数の犠牲者が出ました。ラモン・カザス《サンタ・マリア・ダル・マール教会を出発する聖体祭の行列》(1896~98年頃)は直接事件を描写してはいませんが、現場となる教会付近を描いています。
…「ムダルニズマ(Modernisme)」を代表する芸術家ラモン・カザスとサンティアゴ・ルシニョルは、母国とパリとを行き来し、最先端の様式や技法を取り入れながら、バルセロナに新しい芸術を生み出そうとしました。「ムダルニズマ祭」はルシニョルが主宰した美術、演劇、音楽などを発表する総合芸術祭で、バルセロナ近郊の漁村シッジャスで5回(1892年、93年、94年、97年、99年)にわたり開催されました。ムダルニズマの画家たちはエル・グレコを近代絵画の先駆者と位置づけ、その鮮烈な色彩や神秘的な画面構成にムダルニズマの源泉を見出していて、1894年のムダルニズマ祭ではルシニョルが購入したエル・グレコの《改悛のマグダラのマリア》と《聖ペテロの涙》(《聖ペテロの涙》は現在では工房作とされています。)も披露されています。
…「四匹の猫(アルス・クアトラ・ガッツ)」はパリのキャバレー「シャ・ノワール(黒猫)」に倣い、カフェ、居酒屋、レストランとして飲食を提供すると共に、詩の朗読会や展覧会、人形劇、コンサートなどのイベントが催される芸術家達の活動の拠点として1897年、ラモン・カザスやサンティアゴ・ルシニョルらによって創設されました。4章では「四匹の猫」で上演された演目のポスターや人形劇で使用された人形のほか、1902年にバルセロナで公演を行った日本の川上音二郎貞奴の肖像なども展示されています。なお、この「四匹の猫」には若きピカソも出入りしていて、個展も開催しており、エル・グレコを意識した油彩画や同世代の友人の肖像画など初期作品が紹介されています。
…「ノウサンティズマ(1900年代主義)」はローカルな伝統及び地中海的な古典美や理想美、アルカイックな造形に表現上の拠り所を求める文化動向で、米西戦争敗北後のカタルーニャ・ナショナリズムの盛り上がりを背景に台頭しました。ジュアキム・スニェー《森の三人の女たち》(1913年)はセザンヌの水浴図の構図やナビ派のクロワゾニスムの技法を取り入れつつ、カタルーニャの大地に根差した生命力豊かな女性たちを力強く描いています。また、シャビエ・ヌーゲスは、輪になった男女が民族舞踊サルダーナを踊る牧歌的な主題を描いた《レストラン「カン・クリャレタス」のタイル壁画(サルダーナ)》(1923年)など、絵画にとどまらず、版画やグラフィックデザインにも取り組みました。
…6章ではのちに世界的な前衛芸術家となるジュアン・ミロ、サルバドール・ダリの初期作品が展示されています。また、建築家ジュゼップ・リュイス・セルトは、バルセロナ建築学校在学中の1929年に、展覧会「新しい建築」でル・コルビュジエに代表されるモダニズム建築に強い影響を受けた建築モデルを提示し、さらに「GATCPAC(現代建築の発展を目指すカタルーニャの建築家・技術者集団)」を結成してバルセロナの都市改造計画「マシアー計画」を構想します。しかし、スペイン内戦が勃発したため「マシアー計画」は実現には至らず、フランコ将軍の勝利によってバルセロナは再び抑圧の時代を迎えることになりました。セルトとの交流を通じてバルセロナと繋がりを持っていたル・コルビュジエは、バルセロナに対する思いと願いを込めて《バルセロナ陥落》と題した油彩画やリトグラフ作品を残しています。

www.ejrcf.or.jp

感想

モデスト・ウルジェイ《共同墓地のある風景》(1890年代(?))

…夕暮れの色に染まる茫漠とした空の下に浮かび上がる十字架を掲げた門の影。モデスト・ウルジェイ《共同墓地のある風景》は丘の上の墓地を壮大なパノラマで描いた作品です。荒涼とした一帯には人影が見当たらず寂寥感が漂い、画面左側では落日が地平線に沈もうとしています。日本の場合、西方浄土という仏教的なイメージもあって、日没や西の方角に人の死を重ね合わせることがあるのですが、キリスト教圏にも類似の発想はあるのでしょうか。ヨーロッパでは衛生上の問題やスペースの問題のため、19世紀初頭から都市の郊外で眺望の良い場所に共同墓地や民間の墓地が作られるようになっていったそうです。そうした点で、この作品は都市の再開発と近代化がもたらした風景とも言えるでしょう。

ルマー・リベラ《夜会のあとで》(1894年頃)、《休息》(1902年頃)

…《夜会のあとで》には、白いドレスの女性がヒールの高い靴を脱いで、室内履きに履き替えている場面が描かれています。夜会を終えて自宅に戻り、窮屈な靴から解放されてほっとしたのでしょう、女性は笑顔を浮かべて寛いでいますね。女性の座る豪華な赤い椅子や無造作に脱ぎ捨てられた外套が置かれている椅子の背もたれの凝った装飾など、調度品の華麗さも目を引きます。背後には鏡台に団扇が置かれていたり、雉のような鳥が描かれた屏風が立てられていたりして、ジャポニスムの流行の一端も窺われる作品です。
…《休息》ではピンクのドレスを着た女性が、外套を半分脱ぎかけたまま長椅子でうたた寝をしています。夜会から戻ってきたあと着替えもせずに疲れて、あるいはお酒を飲んだ酔いのために眠ってしまったのでしょうか。奥の食堂から給仕の男性が驚いたように身を乗り出していますが、無防備に横たわる女性は饗宴の続きを夢で見ているのかもしれません。左側の飾り棚に置かれた壷や長椅子のクッションの模様などは《夜会のあとで》と同様に東洋風です。往時のバルセロナの上流階級が繁栄を享受し、華やかな社交生活に勤しんでいたことが感じられる作品だと思います。

ラモン・カザス《アニス・デル・モノ》(1898年)、《入浴前》(1894年)

…《アニス・デル・モノ》はグラスを掲げた女性が大きく描かれた大判リトグラフポスターで、青地の背景に女性の黄色いショールと商品のロゴが引き立っています。ラモン・カザスは1881年以降頻繁にパリへ趣き、最新の芸術表現を自作に取り入れていて、太く明瞭な輪郭線や花柄の布をコラージュしたような平坦な面として様式化されたドレスなどは、パリの街を彩ったナビ派のポスターを思い出させます。なお、アニスは薬草やスパイスとして利用されてきた地中海東部原産の植物で、アニス酒はアニスから作るリキュールだそうです。女性が連れている猿は商品であるアニス・デル・モノの瓶を抱えていますね。流し目の女性はアニス酒でほろ酔い気分なのでしょう。
…《入浴前》は仄暗い浴室で脱衣をする女性を描いた作品で、洗面台の前に立つ女性の横顔が背後の窓によって浮かび上がっています。同様の主題の作品を多く描いたドガの場合はリアルな日常を生きている女性の裸体を極めて近い距離から描いた親密さが特徴ですが、この《入浴前》が描かれた当時のバルセロナでは厳格で道徳的な芸術表現を求める動きもあり、女性の身体の大部分はすっぽりとガウンに覆われていて表現は控えめです。一方で、女性の背後のバスタブや湯沸かし器など、当時の最新設備が描かれていて当時の風俗を知ることができるのも興味深いです。社会的な制約もある中で、新しい絵画表現によって都市の女性達の新しい風俗や生活習慣を描いた作品だと思います。

サンティアゴ・ルシニョル《自転車乗りラモン・カザス》(1889年)、《青い中庭》(1892年)

サンティアゴ・ルシニョルはラモン・カザスとともにパリで学び、《四匹の猫》における芸術活動の中心となった芸術家です。《自転車乗りラモン・カザス》は盟友の肖像でもあるのですが、描かれたラモン・カザスの姿は芸術家ではなくスポーツマンで、サイクルキャップに手袋、足元はブーツという洒落た出で立ちで中庭(パティオ)のベンチに腰掛けています。足元に転がっているオレンジの実は、どんよりと曇った冬空の下の場面に太陽のような輝かしさを添えています。芸術家達が作品だけでなく、ライフスタイルにおいても最新の動向を実践していたことが分かる作品だと思います。
バルセロナ近郊の小さな海辺の村シッジャスにインスピレーションを得て描かれた《青い中庭》は、タイトルどおりパティオを取り囲む鮮やかな青い壁が印象的な作品です。画面左側の建物の入口から洗濯籠を抱えた女性が姿を見せていますが、女性のスカートやレンガとおぼしき床、植物の素焼きの鉢などの赤茶色は土の色であり、海を思わせる青と共に地中海の風土をイメージさせます。壁に囲まれたささやかな庭は人目を気にせず洗濯物を干したりできるプライベートな生活の場であると同時に、空に開かれた憩いの空間でもあるでしょう。パリやバルセロナのような技術や流行の最先端である大都市とは対照的なスローライフ、伝統的な住居における庶民の素朴な日常が心を和ませてくれる作品だと思います。シッジャスを気に入ったルシニョルは、この地でアトリエ兼コレクションの鉄製工芸品を展示するギャラリー「カウ・ファラット(鉄の巣)」を開館し、美術だけでなく演劇や音楽などを発表する総合芸術祭「ムダルニズマ」祭を主宰するなど多面的に活躍しました。

エルマン・アングラダ・カマラザ《夜の女》(1913年頃)、リカル・カナルス《化粧》(1903年)

…アングラダ・カマラザ《夜の女》には、バラの模様があしらわれた黄色いドレスの女性が描かれています。ライトを浴びて立つ女性はショーを終えたところでしょうか、くっきりとした濃い化粧もおそらくステージメイクでしょう。ドレスの襞の青みを帯びた影が女性の優美な身体の線を浮かび上がらせています。画家のアングラダ・カマラザは1894年にパリに出て、パリの女性達のナイトライフを主題にした作品を手掛けたそうなので、この作品に描かれているのも華やかな夜を彩った女性たちの一人なのかもしれません。眩い光の中で客席の喝采に応じるように胸に手を当てる女性の姿からは自信や誇りが感じられる作品です。
…リカル・カナルス《化粧》は伝統的なヴァニタス画を思い出させる構図で、豊かな赤毛の女性が椅子に座って黒人のメイドに身支度を任せながら、手鏡に写る自身の姿を見つめて満足げに微笑んでいます。壁紙やカーテンなどの暗い色彩を背景に、ドレスを開けた女性の肌が一層白く際立っています。女性の顔などは丁寧に描かれる一方、女性の傍のテーブルに飾られた花やテーブルクロスなどは印象派風の素早い筆致で描かれていて、女性の艶やかな肉体は画家が研究したというルノワールの影響が感じられます。舞台上の女性を描いた《夜の女》に対して、《化粧》は彼女たちの寛いだ、謂わばオフの姿というところでしょうか。恍惚として不安や疑いを微塵も抱いていない女性の表情が、逆説的に若さや美しさが儚いこと、そして持てはやされているあいだはそれが理解できないことを意識させるように思いました。

ジュアン・ミロ《花と蝶》(1922~23年)、サルバドール・ダリ《ヴィーナスと水兵(サルバット=パパサイットへのオマージュ)》(1925年)

…《花と蝶》はテンペラ画で、くっきりと明瞭な輪郭やくすみのない色彩が印象的です。細密に描写された複雑な花弁や葉脈は、花瓶の周りを飛ぶ蝶の翅脈が張り巡らされた羽根との相似を意識させます。一方、植物の茎あるいは枝は単純化され、棒のような直線と非現実的な曲線とが組み合わされた形状で描かれています。背景は黄色い無地の上部とジグザグの細い線に覆われたやや暗い褐色の下部に分かれているのですが、花瓶が置かれているのはテーブルなのでしょうか、それとも地面なのでしょうか。一面に描き込まれたランダムな線はテーブルクロスの皺のようでもあり、地面のひび割れにも見えるのですが、ここでは緻密さが現実の再現である以上に装飾的な効果を生み出しているように感じられます。細密描写と単純化、写実と装飾が共存したこの作品を制作した直後から、ミロは現実の描写を離れて記号化された形象を組み合わせた独自の画風の確立へと進んでいったそうです。
…海に臨む窓辺でヴィーナスと水兵が抱き合う《ヴィーナスと水兵(サルバット=パパサイットへのオマージュ)》は、ダリが敬愛していた詩人サルバット=パパサイットに捧げられた作品です。バルコニーの手すり越しに見える海には船が浮かんでいるので、水兵はこれから船に乗り込むところで、二人は旅立ち前の別れを惜しんでいるのでしょうか。ヴィーナスの顔が丁寧に描かれているのに対して、水兵の横顔は描かれておらず、アノニマスな存在として表現されているようにも思われます。窓や水兵がキュビスム的な手法で描かれている一方で、ヴィーナスの顔や腕など量感を伴う肉体の描写や、灰色がかったベージュや水色などを主とする落ち着いた色合いは同じピカソでも新古典主義時代の作品の影響を窺わせます。ダリの画風が確立される以前の、様々な技法を吸収している途上の作品ですが、作品が醸し出すミステリアスな叙情性に後のダリの片鱗が感じられると思います。

ハマスホイとデンマーク絵画 感想

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見どころ

…「ハマスホイとデンマーク絵画」展は、2008年に大規模な回顧展が開催されたヴィルヘルム・ハマスホイ(1864~1916)の作品を中心に、19世紀から20世紀初めにかけてのデンマーク絵画を日本で初めて本格的に紹介する展覧会です。出品作はデンマーク国立美術館などが所蔵する油彩画86点で構成されていて、うち37点がハマスホイの作品です。
ハマスホイの作品は極めて抑制的で、灰色がかった色合いで描かれた画面には必要最小限のモチーフのみが配置され、人物はしばしば後ろ姿で感情や物語を読み取ることはできません。細心の注意を払って構築された画面からは均衡を破る要素が慎重に取り除かれ、純化された静けさが支配しています。装飾を排した修道院のように禁欲的で瞑想的な世界は、穏やかな明暗の階調とうっすらと靄が掛かったような柔らかいトーンで描かれていて、静寂には詩情や余韻が感じられます。
…こうした作品が心地良く感じられるのは、忙しなく騒々しい日常を離れ、溢れる情報や物質を捨てて、静けさや落ち着きを求める気持ちがあるためだろうと思います。そしてそれは、近代化が急速に進展した20世紀初頭のデンマークの人々にも、現代においてもあてはまるのかもしれません。ハマスホイの作品は新奇なものや刺激的なものが溢れ、豊かで過剰な社会に対してシンプルで本質的なものを提示し、鑑賞者に安らぎをもたらしてくれると思います。
…私はプレミアムナイトで鑑賞したのですが、所要時間は90分程度で、作品を十分に見ることができました。ハマスホイの作品はもちろんのこと、クプゲなどこれまで知らなかったデンマーク黄金期の画家の作品を知ることができたほか、2017年の西洋美術館の展覧会でみずみずしく爽やかな印象を抱いたスケーイン派の作品を再び見ることができて良かったです。

概要

【会期】

…2020年1月21日~3月26日

【会場】

東京都美術館

【構成】

1 日常礼賛――デンマーク絵画の黄金期
2 スケーイン派と北欧の光
3 19世紀末のデンマーク絵画――国際化と室内画の隆盛
4 ヴィルヘルム・ハマスホイ――首都の静寂の中で

…展示は時代順の構成になっています。
…第1章はクレステン・クプゲやダンクヴァト・ドライアらによる風景画などが展示されています。1800年~1864年までのデンマーク絵画は「黄金期」と呼ばれていて、特に1820年前後から1850年頃までのおよそ30年間には多くの芸術家による多彩で完成度の高い作品が制作されました。これは、1818年に王立美術アカデミーの教授となったクリストファ・ヴィルヘルム・エガスベアが、同時代のローマで実践されていた戸外での風景画制作という新しい手法と理念をもたらしたためだそうです。
…第2章はミケール・アンガやピーザ・スィヴェリーン・クロイアらスケーイン派の作品が紹介されています。スケーインは首都コペンハーゲンから離れた、北海に面するユラン半島(ユトランド半島)の北端に位置する漁村で、1870年代から芸術家たちが集まり芸術家のコロニーが形成されました。当初彼らは近代化の影響を免れた厳しい自然環境と素朴で伝統的な漁村の暮らしを主題としていたのですが、その後次第にスケーイン特有の光の描写と芸術家相互の交流に比重を移し、印象派などの影響を取り入れた明るく開放的な作品を制作するようになります。
…第3章は印象派やポスト印象派の影響を受けた画家たちの作品、及びハマスホイと同時代に活動したカール・ホルスーウやハマスホイの義兄ピーダ・イルステズの作品が展示されています。19世紀半ば以降、王立美術アカデミーではデンマーク固有の自然や伝統的生活を中心的な主題とする指導が行われていましたが、若手の芸術家達は同時代の外国の芸術の動向を取り入れた新しい表現を目指しました。また、1880年代以降のコペンハーゲンでは温かみを感じさせる家庭的場面を描いた室内画が人気を得ますが、その後1900年頃になると物語性が希薄で、室内空間の美的な構成そのものが追及されるようになります。
…第4章は展覧会の中心となるハマスホイの作品が展示されています。ハマスホイは初期には人物画や風景画を手掛けていましたが、1890年代半ば頃から徐々に室内画の比重が増え始め、1898年に移り住んだストランゲーゼ30番地の室内を描いた一連の作品によって名声を得ました。出品作は《三人の若い女性》(1895年)や《イーダ・ハマスホイの肖像》(1907年)など人物画、ハマスホイが生涯を過ごしたコペンハーゲンの都市風景及びその近郊などの自然を描いた風景画、そしてハマスホイの代表作《背を向けた若い女性のいる室内》(1903~04年)や《カード・テーブルと鉢植えのある室内、ブレズゲーゼ25番地》などの室内画です。なお、《背を向けた若い女性のいる室内》に描かれているパンチボウル(ブランデーやラム酒などの酒と果汁、炭酸水、砂糖などを混ぜ合わせた飲み物を入れて供する鉢)と錫製のトレイの実物も展示されていました。

artexhibition.jp

感想

クレステン・クプゲ《カステレズ北門の眺め》(1833~34年)、《海岸通りと入り江の風景、静かな夏の午後》(1837年)

…クレステン・クプゲの風景画は穏やかで緑豊かな自然を明るい色調で写実的に描いています。夏の風景が多いのは戸外での制作が容易な季節のためでしょう。デンマークは比較的平坦な地形のようで、なだらかな大地を覆う空の大きさが印象的です。《カステレズ北門の眺め》では川岸の生い茂る木立が日差しを浴びてきらめき、水面には橋のたもとの家が映り込んで波に揺らめいて、眩い夏の光が伸びやかに表現されています。カステレズはクプゲが腕利きのパン職人だった父と共に子供時代を過ごしたコペンハーゲン北部の城塞で、図録に掲載された地図を見たところ綺麗な星形をした五稜郭なんですね。《海岸通りと入り江の風景、静かな夏の午後》はうっすらと色づいた夕暮れ時の空が画面一杯に広がっている作品です。画面左側の陸地に立つ背の高い樹木はまっすぐ伸びていて、起伏に乏しい風景に変化を与えると共に画面を垂直方向に支え、空の高さを感じさせます。空を写して同じ色に染まっている海の上には小舟が浮かんでいて、よく見るとカップルが乗っています。緯度の高いデンマークの場合、夏は日が長いはずなので見た目の明るさ以上に遅い時間なのかもしれません。彼らは長い一日の名残を楽しんでいるのでしょう。満ち足りた静けさに包まれた作品だと思います。

ピーザ・スィヴェリーン・クロイア《魚網を繕うクリストファ》(1886年)、《朝食――画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン》(1893年)

…第2章では荒海に乗り出す漁師たちの堂々たる逞しい姿を描いたミケール・アンガの作品などが出品されていますが、《魚網を繕うクリストファ》はドラマチックな作品とは対照的な家の中のささやかな一場面で、窓辺の椅子に座り、無骨な手で網の手入れをしている漁夫の姿を描いています。クリストファはパイプを吹かしながらの寛いだ姿で、薄暗い室内には窓からの光に透かされた紫煙が漂い、俯く顔は影になっていますが淡々と無心に手先に集中しているようです。この作品は会場では内容的にちょうど対になるアナ・アンガの《戸口で縫い物をする少女》と隣り合わせで展示されていたのですが、称賛の対象として理想化された男性的な英雄像ではなく、気負わないありのままの姿を近い距離から描いていて、親しみを感じさせる作品だと思いました。
…《朝食――画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン》は青と黄色の対比が鮮やかな作品です。青いスモックの画家と黄色のドレスの妻、青い食器と黄色の花瓶や花、壁紙の模様など、食卓や室内の調度品が細かく描かれていて静物画的な面があると共に趣味の行き届いた暮らしぶりも感じられます。妻は微笑みを浮かべ、画家自身もカップを手に身を乗り出すようにして作家の話に聞き入っている姿がテーブルの斜め後ろからの視点から描かれていて、鑑賞者も食卓に居合わせているような臨場感があります。
ハマスホイの師であるクロイアの作品は明るい色彩と軽やかなタッチによって身近な風景や人物など日常の一場面を捉え、生き生きと表現しています。クロイアはハマスホイについて「ほとんど奇妙な絵ばかり描く生徒がひとりいる。私は彼のことを理解できないが、彼が重要な画家になるであろうことはわかっている。彼に影響を与えないように気を付けることとしよう」*1と語っていますが、まさにハマスホイとは対照的な画風で理解できないと感じたのも当然のことかもしれません。しかし、自らとは相反する美意識を否定することなく高く評価していて、指導者としても優れていたのだろうと思いました。

ユーリウス・ポウルスン《夕暮れ》(1893年)、ヨハン・ローゼ《夜の波止場、ホールン》(1893年)

…19世紀末の風景画を見ると、19世紀前半から半ばにかけての黄金期の写実的な作品に比べてかなり変化していることが感じられます。ユーリウス・ポウルスン《夕暮れ》は地平線が夕陽の名残に染まる野に立つ一対のオークの木の影が浮かび上がっています。全体に靄の掛かったようなピントのぼけた画面が特徴なのですが、1924年のインタビューによると画家は実際の景色を前にしているときは見つめることに集中し、作品は翌日にアトリエで制作したそうで、実景の再現であるより画家の印象、主観を反映した叙情的な風景です。
…ヨハン・ローゼ《夜の波止場、ホールン》は、夜の闇に沈む入り江に停泊する二艘の船が描かれている装飾的な風景画です。穏やかな水面が思いのほか明るいので、月夜なのかもしれません。ホールンはオランダの港町で、画家は現地で作品を描き始め帰国後の翌春に完成させたそうです。明瞭な輪郭線や平坦な色面、緩やかに弧を描く背後の橋など単純化、様式化された描写が特徴ですが、画家はナビ派モーリス・ドニから特に影響を受けたそうです。

ピーダ・イルステズ《アンズダケの下拵えをする若い女性》(1892年)、カール・ホルスーウ《読書する若い女性のいる室内》(1913年以前)

…ピーダ・イルステズ《アンズダケの下拵えをする若い女性》は女性の黄色いドレスと皿に載せられたアンズダケの鮮やかな黄色が呼応し、テーブルの上の青い水差しと対比されています。アンズダケは文字通り杏のような香りを持つ茸で、微量の毒があるため日本では毒茸の扱いですが、ヨーロッパでは料理の食材として幅広く利用されているそうです。色遣いや部屋に差し込み白い壁を明るく照らす光、簡素な室内で家事に勤しむ単独の女性像という主題などは画家が範とした17世紀オランダの室内画、特にフェルメールの作品を彷彿させますね。静謐な雰囲気のある作品だと思います。
…ホールスウ《読書する女性のいる室内》は椅子の背もたれ、椅子に座る女性、折りたたまれたテーブルの流れるような曲線がそれぞれに呼応していて構図への気配りが感じられます。また、必要最小限の調度品や茶やグレーなどを基調とする落ち着いた色調などはハマスホイの作品と相通じるものもあります。他にも後ろ姿や横顔の人物、物語性の希薄さなど、ピーダ・イルステズやホルスーウの室内画はハマスホイとの共通点が多く感じられます。一方で彼らの作品はハマスホイに比べると子供が描かれていたり、調度品も多く配置されていたりと実際的で、生活の気配があります。近代化、都市化により市民の生活も清潔で豊かなものに変化したことで、鑑賞に耐える整えられた室内が身近な主題となり、そうした作品の持つ心地よい雰囲気が共感されたのでしょう。

ヴィルヘルム・ハマスホイ《三人の若い女性》(1895年)、《イーダ・ハマスホイの肖像》(1907年)

…《三人の若い女性》は128センチ×167センチと大きな作品で、その大部分を椅子に座る三人の女性の姿が占めています。モデルは左から義兄ピーダ・イルステズの妻インゲボー、ピーダの妹でハマスホイの妻イーダ、ハマスホイの妹アナ。空間の奥行きや広がりはほとんど感じられず、女性達のドレスは単純化され平面的に描かれていて互いに膝が触れそうにも見えるのですが、本の置かれたテーブルによって読書に耽る右端のアナが一番部屋の奥に座っていることが分かります。画家は身近な女性達のそれぞれに個性的な容貌を捉えていますが、一方でいずれも椅子に座ったほぼ同じ大きさの三人を横に並べて配置するなど、類型化した描き方がされているためか似通った印象も受けます。元は血の繋がりのない三人ですが、ここには描かれていない男性たちの存在によって姉妹となり、同じ家族の一員として結びつきを共有していることが感じられる作品だと思います。また、この作品は画面が大きいため、ほぼ同じ大きさの筆痕が等間隔に連なりカンヴァスを埋めていて、重なり合う部分がムラになることによって生じた濃淡が靄がかったような独特の風合いを生みだしているハマスホイの独特の筆遣いも分かりやすかったです。
…《イーダ・ハマスホイの肖像》は描かれた妻イーダの緑がかった肌の色に先ず驚く肖像画です。食卓についた妻がカップの飲み物をスプーンで混ぜているというありふれた一場面でありながら、イーダは青ざめて亡霊のようです。肖像画がしばしば対象を美化、理想化することを考えると異色の肖像画なのですが、イーダは前年に手術を受けてひと月半ほど入院していたそうで、血管の浮いた額や窪んだ目など、作品には病後の窶れ具合が克明に描かれています。この絵を見て鑑賞者がショックを受けるように、画家も大きなショックを受けたのでしょう。死の影を背負った妻の姿は命の脆さ、存在の儚さとともに、妻を見守る画家の感じた病に対する恐怖や喪失の恐怖を想像させます。病から回復して妻が自分の元に戻ってきたことを画家はきっと喜んだことと思いますが、あえてこうした作品を残したのはそのとき自分たちが見舞われたものを忘れないためかもしれません。この肖像画は習作も含めて画家の生前は手放されることがなく、個人的な作品だったと思われます。

ヴィルヘルム・ハマスホイ《ライラの風景》(1905年)、《若いブナの森、フレズレクスヴェアク》(1904年)、《ロンドン、モンタギュー・ストリート》(1906年)

…《ライラの風景》は明るい色彩で草原を描いた爽やかな印象の作品で、なだらかに連なる丘の草は平坦な緑の色面に単純化され、晴れた空に浮かぶ白い雲も点々とリズミカルに列を成しています。ハマスホイは基本的に自然のなかで実際の景色を見ながら風景画を制作したそうですが、見たままを自然主義的に描写するのでなく、雑多な要素を捨象して装飾的に描いています。光の当たり方はフラットで影がなく、静寂を破る人も動物も見当たらない時間の止まったような世界です。
…《若いブナの森、フレズレクスヴェアク》では緩やかな斜面に生えるブナの木々が描かれていますが、生い茂るブナの葉は細部が省略され、曖昧にぼかされて幻想的な雰囲気を生み出しています。樹木の重なりによって空間の奥行きは感じられますが、樹木自体の立体感はあまり感じられません。梢の合間から垣間見える空は白い光に満ちていますが、森の外が晴れて明るいのか雲や霧に覆われているのかは判然としません。おそらく現実の特定の日時や状況を描いているわけではないのでしょう。
…セピア色の冬のロンドンを描いた《ロンドン、モンタギュー・ストリート》はセピア色の冬のロンドンを描いた作品です。画面手前から奥に向かって伸びる道が白い路面に二本の黒い線が引かれているだけのシンプルなものであるのに対して、歩道沿いの黒い柵や向かいの建物の窓などは几帳面に細かく描かれていますが、規則的な垂直の線はリズムを生み出す装飾的な効果が感じられます。近くには大英博物館もあるのですが通りに人影は見当たらず、時の流れから取り残された世界のようでもあります。物寂しいのになぜか懐かしさを感じさせる作品だと思います。

ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内、ラーベクス・アリ》(1893年)、《背を向けた若い女性のいる室内》(1903~1904年)、《室内――陽光習作、ストランゲーゼ30番地》(1906年)

ハマスホイの描く室内は最小限の家具のみが置かれたすっきりとした空間であるだけでなく、家具自体も壁紙や人物の衣服も全てがシンプルで飾り気がなく、住む人の人柄や日頃の生活ぶり、前後の文脈に繋がる手がかりなど、描かれている以外の何かを物語る要素が徹底して排除された寡黙さを感じます。その点、《室内、ラーベクス・アリ》はハマスホイの作品には珍しい鮮やかなピンク色とバラ色の壁面パネルが目を引きました。イーダと結婚したハマスホイはラーベクス・アリにある18世紀の邸宅に新居を構えたそうで、古いながらも白と金に縁取られた華やかな装飾は若い夫婦に似つかわしいかもしれませんね。一方で、家具は少数で生活感を感じさせないなど、後年のハマスホイの室内画を思わせる面もあります。この作品は床と天井が大きな面積を占めているのも印象的なのですが、ハマスホイは奥行きのある室内を描くときは本作のように斜めから空間を捉える構図をしばしば用いたそうです。
…《背を向けた若い女性のいる室内》は壁に掛けられた絵画や壁の装飾パネル、ピアノなどの水平線と垂直線からなる画面のほぼ中央を、銀色のトレイを抱えた女性の左腕が斜め45度で横切っています。また、壁に掛けられた絵画の対角線上に女性の左肩が配置され、女性の右肘の先から差しているピアノの影は女性の右肩とほぼ平行になっているなど、考え抜かれて構成されていることが分かります。薄いブルーの壁紙や女性の黒いドレスは無地で装飾性を排しているのに対して、ピアノの上のパンチボールの植物模様は細かく描き込まれ、パンチボールの蓋と女性の項から肩にかけてのなだらかな曲線とが呼応していますが、幾何学的な構成のなかではこうした有機的なモチーフが引き立ち、隙のない堅固な構図を和らげて堅苦しさを感じさせないものにしています。揺るぎない世界の中で唯一、振り返る女性が動きを生み出していて、ピアノの影が女性の動作の余韻のようにも感じられる作品だと思います。
…《室内――陽光習作、ストランゲーゼ30番地》は人の姿も、家具さえ見当たらないがらんとした空虚な部屋です。閉じた白いドアには把手が見当たらず、ひっそりとした室内がその静寂を破られることを拒んでいるようでもあり、模様のないグレーの影に覆われた床の上にはこの閉ざされた部屋に唯一存在するもの、窓越しの日の光が差しています。光を描くにも画家それぞれのアプローチがあって、時に神のもたらす霊的な光として描かれたり、印象派のような目くるめく一瞬のきらめきとして表現される場合もあると思いますが、ハマスホイは日陰でない部分として間接的に表現するのだなと思いました。外界に閉ざされた部屋にも光だけは立ち入ることができる、あるいはむしろ光だけを捕らえるための部屋なのかもしれません。個人的には閉塞感よりも光の明るさが印象に残る作品でした。

*1:ヴィルヘルム・ハンマースホイ――静かなる詩情」(国立西洋美術館、2008年)P12

永遠のソール・ライター 感想

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見どころ

…この展覧会は1960~80年代に商業写真で活躍し、2006年、『Early Color』をきっかけに「カラー写真のパイオニア」として脚光を浴びて、再評価されるようになった写真家、画家のソール・ライター(1923年~2013年)の2017年に続く回顧展で、モノクロ作品及びカラー作品200点以上から構成されています。
ユダヤ教のラビだった父の反対を押し切り、画家を志してニューヨークに移り住んだソール・ライターは「私は色が好きだった。たとえ多くの写真家が軽んじたり、表面的だとか思ったりしても」*1と語っていて、モノクロ写真のみが芸術作品として評価されていた時代から多くのカラー作品を撮り続けてきました。ソール・ライターのカラー作品にはモノクロの雪風景を彩る赤い傘が印象的な《赤い傘》(1958年頃)や、窓の装飾があたかも宙に浮いた物体のように見える《黄色いドット》(1950年代)、影になった柵の隙間から垣間見える女性の後ろ姿を捉えた《青いスカート》(1950年代)など、街の風景の中からひと際鮮やかな色が浮かび上がり、目を引きつける作品がしばしばあるように思います。薄紅色の傘が作るアーチの下で、濡れた路面にピントのぼやけた車や街並みが写っている《薄紅色の傘》(1950年代)は、傘の色がそのまま広がり全体がうっすらと色づいているように感じられて個人的に今回の展覧会で一番気に入りました。
…私は会期最初の土曜日の午前中に見に行きましたが、混雑しておらず落ち着いて作品を見ることができました。モノクロ写真はサイズの小さなものが多く、近くで見る必要があると思います。カラー写真は比較的大きめです。個別の作品解説はありません。所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。なお、出品作の中には公式図録に掲載されていない作品があります。例えば、《ハーレム》(1960年)や《モンドリアンの労働者》(1954年)などは2017年の展覧会の図録である『ソール・ライターのすべて』に掲載されていて、今回の図録にはありません。図録が一般書籍としても販売されているため前回出品作については重複を避けたのでしょうが、好きな作品があるかどうか購入時に確認した方が良いと思います。

概要

【会期】

…2020年1月9日~3月8日

【会場】

…Bunkamuraザ・ミュージアム

【構成】

Part Ⅰ ソール・ライターの世界
 1.Black & White
 2.カラー(1)
 3.ファッション
 4.カラー(2)
Part Ⅱ ソール・ライターを探して
 1.セルフ・ポートレート
 2.デボラ
 3.絵画
 4.ソームズ
 5.その他
…展示構成はソール・ライターが遺した膨大な作品から発掘されて初公開となるカラー作品、モノクロ作品を含む第1部と、写真家自身を紹介する第2部の2部構成になっています。
…第1部はモノクロ写真とソール・ライターの名を知らしめたカラー写真、ファッション誌のために撮影された商業写真に分かれています。カラー写真には2000年代に入ってからの作品も含まれています。商業写真の点数は少なめです。
…第2部はソール・ライター自身と家族やパートナーなど身近な人々、愛猫たちを撮影した作品です。デボラはソール・ライターの妹で、兄の活動に理解があり初期作品で兄のモデルを務めていましたが、その後精神障害を患い、2007年頃に亡くなっています。ファッション・モデルとしてソール・ライターと出会い、自らも絵画を制作していたソームズ・バントリーは40年以上ソール・ライターと生活を共にしたパートナーで、2002年に亡くなりました。また、「ここ数年、私は自分の絵のことを『キッチン絵画』と呼んでいる。ワインを買うとボトルのあいだにはさまれている小さな板に絵を描いている。私は夜中に目を覚まし、コーヒーのお湯を沸かす間に、絵をひとつ描く」*2とも語り、写真と並行して絵画の制作も続けていたソール・ライターですが、2017年の展覧会に比べると今回は絵画作品の出品は少なめです。
…会場では作品のほかコンタクトシート(フィルムを印画紙に密着させてプリントしたもので、フィルムの内容を一覧で確認することができる)が展示されていました。また、プリントされないまま遺された数千点に上るとされるカラー・スライドの一部が上映されていました。
…第2部の「5.その他」ではソール・ライターが使っていたパレットや椅子、ソール・ライター及びパートナーのソームズ・バントリーの絵画作品などが展示されているコーナーがあり、撮影可能です。

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ソール・ライターの椅子など愛用品

www.bunkamura.co.jp

感想

…ソール・ライターの作品は、その多くが自身の住んでいたニューヨークの一角、マンハッタン東10丁目周辺の街と人を撮影した写真です。
…片隅にささやかな謎を宿した、少し距離のある間接的な街の風景。ソール・ライターの作品は代わり映えのしない風景の見方をいつもと少し変えただけで、新鮮な姿が見えてくることを教えてくれます。例えば《街の風景》(1957年)の濡れた路面に映りこんだ景色や、《無題》(1950年代)で車のボンネットに映り込み、曲面によって歪められたビルなどは、見慣れた風景やありふれた物体をこれまで見たことのない姿に変貌させています。「私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ」*3。階段の格子の影が下にいる男性の背中に写って模様のようになっている《タナガー・ギャラリーの階段》(1952年)などもそうですが、ソール・ライターはぼんやりしていたら気づかなかったり、あるいは逆に当然と思って見過ごしてしまうような身近な日常のなかの偶然に遭遇したときの感動を捉えていると言えるでしょう。中には、赤白の屋根に印刷された「MR.」の文字の下にちょうど良い案配で男性が立っていて、絶妙の取り合わせがユーモラスな《MR.》(1958年頃)のような作品もあります。
…また、窓に映った風景や窓越しの風景を撮影した写真も多く、《ペンキのあと》(1948年頃)や《窓》(1957年)、《紙》(1950年代)、《靴》(2006年頃)など、ペンキの塗り痕や一部が剥げ掛かった窓の色ガラス、カーテンなどが絵画の背景や地のように映り込んでいる作品もあります。《帽子》(1960年)では、寒さで曇った窓の向こうに立つ人物の輪郭がぼかされて色彩が滲み、ガラスを伝い落ちる水滴が絵の具の滴りのように見えます。「雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い」*4との言葉もあり、ソール・ライターがこうした写真を好んで撮影していたことが分かりますが、偶然や自然現象がもたらす絵画のような効果は、忙しない毎日に消耗し、硬直してしまった感覚に改めて驚きや喜びを与え、想像力を蘇らせてくれると思います。
…ソール・ライターの作品には多くの場合人物が写り込んでいるのですが、《そばかす》(1958年頃)のように正面から被写体の表情を捉えたものは少なく、後ろ姿や少し距離のある横顔を捉えたものが大半です。ソール・ライターは「人の背中は正面より多くのものを私に語ってくれる」*5と語っていますが、人に見られることを意識しない背中は無防備で、取り繕わない個性や感情が滲み出ているものかもしれません。《緑のドレス》(1957年頃)は緑のドレスを着た女性が店の男性と話している情景を捉えたものです。両手を腰に当てて立つ女性は熱心に話し込んでいるようで、ポーズからは怒っているようにも見えます。もっとも、この作品では緑のドレスからのぞく綺麗な背中がより印象的で目を奪われました。
…一方、デボラやソームズなど身近な人物を撮影した写真では近い距離から表情もはっきり捉えられています。人物の濃密な存在感が伝わる率直な表現は、ソール・ライターが愛着を持っていたボナールやヴュイヤールなどナビ派の作品に通じる親密な感情が窺われます。
…元々画家を志していたソール・ライターは、写真家として活動する傍ら、絵画も手掛けていましたが、写真を撮ることと絵画を描くことの間に違いも感じていたようです。「写真を撮ることは発見すること。それに対し、絵を描くことは創造することだ」。違いがあるからこそ、両方必要だったのかもしれませんね。写真の場合、絵画のように初めに自分の意志があってつくり出すのと異なり、「神秘的なこと」の出現を待つ、偶然に身を任せる面もありますが、意識のコントロールを手放すことによって、先入観に囚われない発見に出会うことも可能になるのでしょう。
…ソール・ライターの作品では、鏡や窓を透過して風景が何重にも重なり合っているものもあります。例えば《無題》(撮影年不詳)では歩道の消火栓と道路が窓に映っていて、窓越しの鏡にはカメラを構えた写真家が映っています。暗い店内と道の向かい側の影が重なっていてあたかも一続きのようになっていると思うのですが、カメラの背後に広がっている街の風景と正面の店内の様子、さらに鏡像が重なり合って実体と映像の境目が分からず、実体の確かさが揺さぶられる感覚を覚えます。しかし、無限の透明な空間における整然としたパースペクティブでなく、断片的で重層的なイメージの集積としての都市はかえって私たちの実感に近く、そこに生きる人々の日常の重なり合った奥行きのあるイメージが表現されているように思います。
…一方で、対象との距離を保ち、間接的に表現する好み、拘りには「私は有名になる欲求に一度も屈したことがない。自分の仕事の価値を認めて欲しくなかった訳ではないが、父が私のすることすべてに反対したためか、成功を避けることへの欲望が私のなかのどこかに潜んでいた」*6という言葉と何処かで通底した、ある種の躊躇いも感じます。
…こうした距離感は舞台の主役より脇役、あるいはむしろ本来なら注目されることのない観客へのまなざしにも感じられます。《マッカーサー・パレード》(1951年)や《野球》(1953年頃)はタイトルと裏腹に、肝心のパレードや野球そのものではなくそれを眺めている人々の姿が捉えられています。出来事を見つめる人を見ている写真家、人々の記憶を記録した写真という入れ子構造になっているんですね。華々しいスペクタクルの外側にいる「何もしていない人たち」は特別ではない無名の存在ですが、世界の圧倒的多数を占める彼らは一人一人がかけがえのない個人であり、彼らにもたらされる波紋や感興、刻まれる記憶の総体こそ歴史とみなすこともできるかもしれません。ソール・ライターは一歩引いて見る者にとどまりながら、省みられることなく、忘れられてしまうものを見逃さず捉えて残すことが、写真家としての自分にできることだと考えていたように思いました。

*1:『ソール・ライターのすべて』P176

*2:『ソール・ライターのすべて』P259

*3:『ソール・ライターのすべて』P35

*4:『ソール・ライターのすべて』P45

*5:『ソール・ライターのすべて』P92

*6:『ソール・ライターのすべて』P210

2020年 見に行きたい展覧会

…場所は東京近郊、ジャンルは西洋美術が中心です。
…2020年はアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館、1月18日開館)とSOMPO美術館(旧東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館、5月28日開館)がリニューアルオープンします。アーティゾン美術館の入場は日時指定予約制となります。
東京オリンピック開催年のため、オリンピックに因んでスポーツをテーマとする企画もありますね。日本に注目が集まる一年ということで、今年は日本美術を特集した特別展が多いようです。

「永遠のソール・ライター」

…2020年1月9日~3月8日
Bunkamuraザ・ミュージアム
…「カラー写真のパイオニア」ソール・ライターの2017年に続く回顧展
…約8万点の作品から世界初公開作品を含むモノクロ・カラー写真、カラースライド等を紹介

「ハンマスホイとデンマーク絵画」

…2020年1月21日~3月26日
東京都美術館
…2008年に大型の回顧展が開催されたヴィルヘルム・ハンマスホイの作品37点を中心に、19世紀のデンマーク絵画を本格的に紹介

「奇跡の芸術都市バルセロナ

…2020年2月8日~4月5日
東京ステーションギャラリー
…1850年代から1930年代後半にかけてバルセロナで活動した芸術家達による絵画、ドローイング、彫刻、家具、宝飾品など約130点を展示

「ピーター・ドイグ展」

…2020年2月26日~6月14日
東京国立近代美術館
…ピーター・ドイグは1990年代から活動している「New Figurative Painting(新しい具象)」を代表する画家
…アジア初の本格的個展、大型作品を中心とする約30点のペインティングの他、1点ものの映画のポスターなどを展示

「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」

…2020年3月3日~6月14日
国立西洋美術館
…ロンドン・ナショナル・ギャラリーの英国外における所蔵作品展は世界初、出品作は全作品が初来日
ルネサンスからポスト印象派まで油彩画61点
ゴッホ《ひまわり》、フェルメール《ヴァージナルの前に座る若い女性》、レンブラント《34歳の自画像》他

「超写実絵画の襲来」

…2020年3月18日~5月11日
Bunkamuraザ・ミュージアム
…「写実絵画の殿堂」ホキ美術館の所蔵する現代日本写実絵画約70点を紹介

ボストン美術館展 芸術×力」

…2020年4月16日~7月5日
東京都美術館
ボストン美術館のコレクションより、古代エジプトからアメリカの大富豪まで、古今東西の権力者達に関わる絵画・彫刻・工芸品等約60点を展示、半数以上が日本初公開

クロード・モネ――風景への問いかけ」

…2020年7月11日~10月25日
…アーティゾン美術館
オルセー美術館の所蔵作品を中心に、初期から晩年に至るまでのモネの風景画の変遷を辿る

「スポーツ in アート」

…2020年7月11日~10月18日
国立西洋美術館
古代オリンピックと身体表現の歴史、及びオリンピックが復活した19世紀におけるスポーツと身体表現をテーマとした展覧会

「国宝 鳥獣戯画のすべて」

…2020年7月14日~8月30日
東京国立博物館 平成館
…《鳥獣戯画》全4巻を会期中いつでも全巻全場面見ることが可能
…国内外に分蔵されている断簡や模本もあわせて展示

「The UKIYO-E 2020」

…2020年7月23日~9月13日
東京都美術館
…日本有数の浮世絵コレクションを所蔵する平木浮世絵財団、太田記念美術館、日本浮世絵博物館からそれぞれ約150点、計約450点が出品(前期と後期で展示替えあり)

「凱旋帰国!江戸絵画の華」

…2020年9月19日~12月20日
出光美術館
出光美術館が購入したプライス・コレクション約190点のうちの主要な80点を2期に分けて公開
伊藤若冲《鳥獣花木図屏風》他

ゴッホ静物画」

…2020年10月6日~12月27日
…SOMPO美術館
…SOMPO美術館所蔵《ひまわり》を中心にゴッホの油彩の静物画約25点と、17世紀から20世紀に至るゴッホ以外の画家たちによる作品約40点とを合わせて展示、静物画家としてのゴッホを多角的に検証

琳派印象派

…2020年11月14日~2020年1月24日
…アーティゾン美術館

ブダペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年 感想

見どころ

…「ブダペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年」展は、日本とハンガリーとの外交開設150周年を記念した展覧会です。先日、オーストリアとの国交樹立150年を記念した「ハプスブルク展」を見に行ったのですが、条約が結ばれた当時はオーストリアハンガリー二重帝国だったので、ハンガリーとも同時に150周年なんですね。
…タイトルにもなっているハンガリーの首都、ブダペストは、ドナウ川を挟んで西側の丘陵地帯にあるブダと東側の低地にあるペストが19世紀に合併してできた都市で、その街並みは「ドナウの真珠」、「東欧のパリ」等様々に称賛されています。今回の展覧会はそんな街自体が美しいブダペストにある二つの美術館、ブダペスト国立西洋美術館ハンガリー・ナショナル・ギャラリーから出品されたオールドマスターの作品、及びハンガリーの近現代美術130点で構成されています。
ブダペスト国立西洋美術館の基になったのが、ハンガリーでも最古の貴族の一門であるエステルハージ家の収集した美術品で、中でもエステルハージ・ニコラウス2世(1765~1833)は、1800年から1830年にかけて1000点以上もの絵画を購入して同家のコレクションの発展に貢献しました。エステルハージ家というと私はハイドンが思い浮かぶのですが、音楽だけでなく美術の分野でも大きな役割を果たしていたことを知りました。
…個人的には、今回、これまで知らなかったハンガリーの芸術家の作品に触れることが出来て貴重な機会でもありました。展覧会の顔とも言える《紫のドレスの婦人》を手掛けたシニェイ・メルシェ・パールをはじめ、優美なサロン絵画を手掛けたムンカーチ・ミハーイ、ヴァサリ・ヤーノシュの幻想的で装飾的な作品など、今回新たに名前と作品を知った画家たちも多く、民族色が感じられる作品からモダン・アートまで幅広く楽しむことが出来ました。ハンガリーの人名は耳慣れなくてちょっと難しく感じるのですが、実は日本と同じ姓・名の順だそうで、思わぬ共通点に親近感も覚えました。
…私は会期第1週の平日に見に行ったのですが、混雑もなく落ち着いてじっくり見ることが出来ました。作品数がやや多めなので、所要時間は2時間程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

…2019年12月4日~2020年3月16日

【会場】

国立新美術館

【構成】

Ⅰ ルネサンスから18世紀まで
 1.ドイツとネーデルラントの絵画
 2.イタリア絵画
 3.黄金時代のオランダ絵画
 4.スペイン絵画――黄金時代からゴヤまで
 5.ネーデルラントとイタリアの静物
 6.17~18世紀のヨーロッパの都市と風景
 7.17~18世紀のハンガリー王国の絵画芸術
 8.彫刻

Ⅱ 19世紀・20世紀初頭
 1.ビーダーマイアー
 2.レアリスム――風俗画と肖像画
 3.戸外制作の絵画
 4.自然主義
 5.世紀末――神話、寓意、象徴主義
 6.ポスト印象派
 7.20世紀初頭の美術――表現主義構成主義アール・デコ

…概ね時代順の構成となっています。第Ⅰ章ではヨーロッパの美術を広く取り扱いながら、その中におけるハンガリーの美術について、第Ⅱ章では逆にハンガリーの画家たちに重心を置きつつ、他国の美術も共に紹介されています。クラーナハティツィアーノの作品は第Ⅰ章に、シニェイ・メルシェ・パール《紫のドレスの婦人》はⅡ-2「レアリスム――風俗画と肖像画」にそれぞれ展示されています。
…この二部構成には、出品元である二つの美術館の設立や組織再編の経緯なども関係しているようです。以下、簡単に概略をまとめました。
1906年
 ブダペスト国立西洋美術館開館、ハンガリーを含むヨーロッパ美術を包括的に収蔵、コレクションの母体はエステルハージ家などハンガリー貴族に由来。
1957年
 ハンガリー・ナショナル・ギャラリー開館、ハンガリー美術専門の機関として、ブダペスト国立西洋美術館の所有するハンガリー美術が段階的に移管。
2012年
 二つの美術館が一つの組織に統合。
2018年
 ブダペスト国立西洋美術館が改修工事を経て再オープン。
2019年現在
 収蔵分野の再編中。
 ブダペスト国立西洋美術館:世界各地の古代作品及び中世末期から18世紀末までのヨーロッパとハンガリーの美術品。
 ハンガリー・ナショナル・ギャラリー:19世紀以降のハンガリー美術及び世界各国の美術。
…コレクションの増加に伴い、一時期はハンガリーハンガリー以外の各国の美術とに分けていたものを、時代によるまとまりに再編し直しているところなんですね。なお、ブダペストには新しい美術館も建設中で、ハンガリー・ナショナル・ギャラリーの近現代美術の一部が移管される予定だそうです。

budapest.exhn.jp

感想

ルカス・クラーナハ(父)《不釣り合いなカップル 老人と若い女》(1522年)、《不釣り合いなカップル 老女と若い男》(1520~1522年頃)

…年齢や経済力などが不釣り合いなカップルの見苦しさ、滑稽さは古代から喜劇の題材で、教訓と風刺の対象でした。クラーナハの工房ではこの主題の異作が40点以上制作されているそうで、人気のあったことが分かりますが、人々にとって皮肉な笑いも娯楽の一つと言えるかもしれませんし、教訓は建前で官能的な描写を楽しんでいたのかもしれません。
…《老人と若い女》では緑と金色のドレスを身につけたクラーナハらしいアーモンド型の目の華奢な美女と、その女性の肩に手を回し抱き寄せようとしている赤い帽子の老人が描かれています。欲望に囚われた男性はだらしのない表情で女性に見とれ、肌が透けて見えそうな胸元に手を伸ばしていて、隙を窺う女性が財布に手を伸ばしていることにも気づいていません。女性の腰の小物入れのような袋はぱっくりと口が大きく開いていて、澄ました顔をした女性の思いがけない貪欲さを示しているようにも感じられます。年甲斐もなくのぼせ上がっている老人の愚かさと、そこにつけ込む女性の狡猾さが対比されています。
…一方、《老女と若い男》のカップルは少しばかり趣が異なっています。ブロケードの豪華な服を着た老女は、自らぎっしりコインの詰まった財布の金を取り出していて、若い男性も手を差し出して受け取っています。若い女性と老人のカップルはそれぞれが裏腹な思惑を持っているように感じられるのに比べると、老女と若い男性は目を合わせ、お互いの打算によって愛と金銭を取引しているように感じられます。もしかすると、老女は若い頃と変わらぬ微笑みを浮かべているつもりなのかもしれませんが、深い皺の刻まれた顔に昔日の魅力はなく歯の抜け落ちた口元は無残に歪んでいるのみです。
クラーナハの両作品は洗練と俗悪の両面を併せ持ちつつ、人間の愚かさや醜さを克明、冷徹に描き出しています。裕福であっても満たされず欲望に囚われている老人たちも醜悪ですし、愛を利用して賢しく立ち回っているようでいて実は金銭に囚われている若者達もまた醜悪だと思います。滑稽でしかないがゆえに悲劇で、個人的には笑うに笑えない人間の弱さや悲しさみたいなものも感じました。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《聖母子と聖パウロ》(1540年頃)

…幼いキリストを抱く聖母と、剣の柄に手を掛けて聖母子の前に跪く古代のローマ軍人。キリストの赤いサンゴの首飾りは西洋の慣習的な厄除け、魔除けのお守りだそうで、聖母の纏う赤いドレスに聖人の赤いマントと、3人の人物がいずれも赤を身につけています。さらに、画面のほぼ中心に赤いリンゴが配置されていて、赤という色に重要な意味が与えられているように感じられます。血や太陽の色である赤は生命やエネルギー、強さや栄光、有限な生と不可分の死、戦いや受難といった様々なイメージを連想させます。そう考えてみると、画面左上の青空もリアルな風景ではなく天上の象徴であり、宇宙的、超越的な青と捉えることもできるかもしれません。
…この作品では聖パウロ古代ローマの軍人風に描かれていて印象的だったのですが、パウロはローマ軍人ではなく、テント造りが職業だったそうです*1。先日「ハプスブルク展」(国立西洋美術館)で見たレンブラントの《使徒パウロ》(1636年?)では白髪で髭の長い老人として描かれていたのに対して、この聖パウロは壮年の男性であり、イメージのギャップも感じました。レンブラントの《使徒パウロ》は机に向かって書簡をしたためている最中で、こちらのほうが聖人の姿としては一般的に感じられます。一方、このティツィアーノの作品では容貌も個性的であり、一種の「扮装肖像画」と考えられるそうなので、注文主が軍人で、聖人の姿を借りてその肖像を描いたのかもしれませんね。なお、実際のパウロはイエスの死後にキリスト教徒となったため、イエスに直接会ったことはないそうです。
…もう一つ、三人の視線がいずれも交わらず別のものを見ていて、それぞれ異なる考えを抱いているように感じたことも印象に残りました。遠くを見つめるキリストは、幼い顔に何かを決意したような子供らしからぬ表情を浮かべています。左手のリンゴは原罪及び贖罪を象徴しているそうなので、聖母の膝の上に立ち上がろうとしている姿は果たすべき使命のために踏み出そうとしている動作にも見えます。優しげな顔立ちをしたマリアの視線はパウロの書物に向けられいますが、幼い我が子の未来が記されているのでしょうか。聖母としてキリストを支えつつ、一人の母親として愁いを帯びた表情をしているように感じられます。17世紀に記されたティツィアーノの伝記によるとパウロはマリアと対話しているとのことなのですが、私にはパウロはキリストを仰いでいるように見えました。キリストとパウロのポーズはそれぞれ自らの運命を暗示するリンゴと剣を手にして呼応し合っており、パウロはキリストに倣って待ち受ける受難を受け入れ、そこに向かって歩んでいく意志を示しているのではないかと思います。マリアは現実にはあり得なかった出会いに立ち会い、彼らを静かに見守っているのかもしれません。

フランチェスコ・フォスキ《水車小屋の前に人物のいる冬の川の風景》(1750年代末/1760年代初頭)

…フランチェスコ・フォスキはアンコーナで生まれ、ローマで活動したイタリアの画家で、冬景色を描いた風景画で名声を得ました。冬景色は16世紀から17世紀のオランダ絵画で流行したのですが、イタリア絵画においてはフォスキ以前はごく稀だったそうです。
…《水車小屋の前に人物のいる冬の川の風景》はフォスキの得意とした冬の風景画です。雪雲に覆われた灰色の空、地面を白く覆う雪、凍てつき冬枯れた樹木。川の水も冷たそうな青緑色をしていて、画面左下ではその川にかかる木の橋を赤ん坊を連れた夫婦が渡っています。一方、対岸の岩場に建つ水車小屋の戸口からは暖かそうな光が漏れていて、女性らしき人影が夫婦を見送っています。彼女は暖かく安全な屋内から寒空の下へと旅立つ家族の道中の無事を祈っているのでしょうか。雲に紛れるように空を飛ぶ鳥たちは渡り鳥の群れで、家族の旅路を暗示しているのかもしれません。しかし、赤ん坊を抱く女性は鑑賞者を安心させるようにはっきり振り返っていて、先行きの明るさを感じさせます。季節的に冬ということもあり、生まれたばかりのイエスを連れたマリアとヨセフのようにも感じられました。

ムンカーチ・ミハーイ《泉のそばの少女》(1874年)、《「村の英雄」のための習作(テーブルに寄りかかる二人の若者)》(1874年)、《パリの室内(本を読む女性)》(1877年)、《本を読む女性》(1880年代初頭)

…ムンカーチ・ミハーイは画業の初期の作品とその後の画風が大きく変わっていて印象的でした。
…初期の作品の主題は故郷ハンガリーの農村の人々で、色調は暗く、描かれた人々は無名の庶民でありながら堂々とした存在感があり、彼らの背負うシリアスな物語が感じられます。例えば《泉のそばの少女》では水くみをする少女が桶を置いて休んでいる姿が描かれています。ふっくらとした頬に赤みが差すまだ若い少女の手は泥で汚れていて、目は暗く表情もぼんやりとしています。重労働を繰り返す日々に疲れ、虚しさを覚えているのでしょうか。《村の英雄のための習作》は村酒場の人気者を描いた大画面の風俗画《村の英雄》(1875年)の準備段階で制作された習作の一枚で、テーブルに背を凭れている若者と、そのテーブル越しに身を乗り出している若者が描かれています。ズボンの上に履いたスカートのような民族衣装がエキゾチックですね。二人はともに視線を左上に向け、どこか思い詰めたような表情をしていて、鬱屈した情熱のようなものが感じられます。
…しかし、ムンカーチは支援者だったド・マルシュ男爵が亡くなり、その未亡人セシル・パピエと結婚してパリで暮らすようになって以降は、ブルジョワ階級の生活を描いたサロン絵画を手掛けて成功しました。《パリの室内》に描かれた邸宅の室内はカーテン、じゅうたん、タペストリーなど豪華な調度品で設えられていて、当時の上流階級の暮らしぶりが窺われます。白いドレスの女性が読んでいる本は厚みがないので雑誌かもしれません。足を組んで座るポーズも人目を気にしない寛いだ姿であることが感じられます。《本を読む女性》は《パリの室内》に比べてさらに大らかな筆遣いで、色彩は一段と明るくなり、特にカーテンと花瓶のターコイズブルーは赤や茶色が主の画面の鮮やかな彩りとなっています。肘をついて本から目を離し、考え事をしている女性は椅子に斜めに腰掛けていて、捻れたスカートが優美な襞をつくり出しています。いずれの作品でも女性たちはサロンの情景の要ですが、存在を主張せず装飾の一部のように華やかな空間に馴染んでいます。ムンカーチは1870年にパリのサロンに出品した《死刑囚の独房》で金メダルを受賞したものの、その後類似のエキゾチックでドラマチックな作品を描くことに行き詰まりを感じていた時期があったそうです。満ち足りた平穏さを描いた作品は描く画家自身にも安らぎや幸福をもたらしたのかもしれません。

シニェイ・メルシェ・パール《紫のドレスの婦人》(1874年)、《ヒバリ》(1882年)

…《紫のドレスの婦人》は青空の下、花咲く緑の草原で木陰に座る紫のドレスの女性を描いた作品で、今日、最も有名なハンガリー絵画の一つです。春の日差しに照らされた風景が明るい色彩で描かれ、ドレスの紫と草原の緑、女性の手元に添えられた黄色の花という対比が目に鮮やかですね。モデルとなった画家の妻はこのとき身ごもっていたそうなので、生真面目な表情で視線を空に向けているのは、自分の未来やまだ見ぬ我が子、あるいは命を授ける運命のようなものへ思いを馳せているのかもしれないと思いました。
…《ヒバリ》は草原に寝そべる裸婦が青空に舞うヒバリを見上げている作品です。特定の物語に基づく場面ではなく、女性も神話の女神や妖精ではないそうです。人工物が見当たらないため同時代を描いたかどうかも不明なのですが、そもそも特定の時代や地域にこだわらず、普遍的な世界として描いているとも考えられます。画面右下に池もしくは小川と見られる水辺が描かれていますから、女性は水浴びをしたあと日向に寝転んでいるところなのかもしれません。地面に近い位置から寝そべって見上げる視点で描いているためか、遠近感がやや歪んで、空が近く雲が低い印象を受けます。晴れた空高く昇るヒバリと地上に縛られている人間とが対比されているようにも思われますし、ヒバリはありのままの姿で寛ぐ女性の自由な精神や魂そのもののようにも思われます。自然と人間との調和や本来の自由を表現した作品だと思います。

ロツ・カーロイ《春――リッピヒ・イロナの肖像》(1894年)

…ロツ・カーロイは19世紀後半に壁画、肖像画の分野で活躍した画家で、この作品では花を手に自然の中で佇む白いドレスの若い女性を描いています。肖像画の主であるリッピヒ・デ・コロング・イロナはこのとき16歳で、まだ少女の面影が残っていますが、大人のように髪を結い上げていて凜とした横顔を見せています。春というタイトルにもかかわらず背後に広がる空は灰色で、周囲の野も暗く荒野のようなのですが、そうした「冬」のような世界に、これから生命の息吹をもたらす春の女神として描かれたものかもしれません。また、手つかずの荒野は、女性の人生がこれから花開くところであることを象徴しているとも考えられます。女性の肖像に季節の春と、みずみずしい青春時代を重ね合わせた作品だと思います。

ヴァサリ・ヤーノシュ《黄金時代》(1898年)

…鬱蒼と木が生い茂る薄暮の森のなか、神々の像が立ち並ぶ前で寄り添う若い恋人たち。女性はバラの供物を捧げ、男性は女性の手を取り胸に引き寄せ、愛の神に礼拝する二人は目を伏せて厳かな表情で祈っています。タイトルの「黄金時代」とは古代ギリシャ人の考えた人類世界の最初の時代で、争いのない幸福に満ちた永久の春の時代であると共に、恋人たちにとって純粋に愛が最も高まっている時期のことを指しているのでしょう。真実の愛を誓い合う恋人たちの姿に、愛の神聖さが時代を超えて不変であることを重ね合わせて讃えているように感じられます。
…この作品は額自体も大きく、凝った装飾が施されていて、額に納められた絵と同じぐらい目を引きました。額の左右には二人の愛を象徴するような二つのハートの形から立ち上る煙が様式化されあしらわれています。一方、額の下部、植物の枝葉の中央に装飾されている動物もしくは怪物の顔はライオンのようにもドラゴンのようにも見えるのですが、個人的にはグリフォンではないかと思いました。並外れた巨体と力を持つ怪物で、黄金を守護するというグリフォンですが、ここでは比喩的な黄金=楽園を脅かす敵を寄せ付けないよう、睨みを効かせているのでしょう。額も含めることで一つの完結した世界となる作品だと思います。

チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル《アテネ新月の夜、馬車での散策》(1904年)

…チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル《アテネ新月の夜、馬車での散策》は奇妙なのに、何故か目を引くユニークな作品でした。細い月が浮かぶ夕暮れの空の青から淡い紫色のグラデーション、通りを行き交う影絵の馬車やおもちゃのような家など、素朴な雰囲気はアンリ・ルソーの作品を連想させます。この作品の特徴の一つが非現実的な明暗の対比で、アクロポリスの丘や引き伸ばされたかのように細い糸杉の木立など、辺りの風景が夕闇に沈んでシルエットで描かれているなか、画面中央を占める家の壁と、その前を通り過ぎる馬車に乗った女性二人のみが明るい色で描かれています。タイトルからも描き方からも、馬車の後部座席に乗る女性たちが中心と思われますが、散策ですから明確な目的地があるわけでなく、街の中を彷徨うこと自体が目的なのでしょう。現代であれば、ドライブで夜景を楽しむ感覚に近いのかもしれません。そう思って見ると、古代の遺跡を背景に繰り広げられる現代的な生活の一コマという取り合わせが面白く感じられます。黄昏時の街を繊細に彩る自然の光と、家の窓に灯る温かな光が醸し出すメルヘンのような雰囲気が、歴史ある街に息づく人々の日常を柔らかく包んでいるように思いました。

*1:使徒言行録」18.1-11

ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史 感想

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見どころ

…この展覧会は日本とオーストリアの国交樹立150年を記念して、中世から近代まで数世紀に渡り神聖ローマ皇帝として広大な領土と多様な民族を治めてきたハプスブルク家のコレクションを紹介するもので、ウィーン美術史美術館、ブダペスト国立西洋美術館及び国立西洋美術館のコレクションからなる出品作100点で構成されています。
ハプスブルク家がその財力とネットワークを生かして築いたコレクションにはデューラーティツィアーノ、ベラスケス、ルーベンスなど西洋美術に名だたる巨匠達の名品が揃い、国際色も豊かです。しかし、考えてみれば当時はスペイン国王もネーデルランド総督もハプスブルク一族が占めていたのであり、ハプスブルク家の勢力がいかに広範に及んでいたかが実感できます。とりわけ「コレクションの黄金時代」だったのが17世紀で、ベラスケスをはじめ、16世紀から17世紀を代表する芸術家たちの作品が揃っています。
…個人的にはベラスケスやティツィアーノなど肖像画に見応えのある作品が多かったように思いました。出品作は大まかに言って、神聖ローマ皇帝をはじめハプスブルク家のために制作された作品と、ハプスブルク家以外の注文主のために制作された後にハプスブルク家のコレクションに入った作品とに分けることができそうです。前者の例がディエゴ・ベラスケスの《青いドレスの王女マルガリータテレサ》、後者の例がティツィアーノ・ヴェチェッリオの《ベネデット・ヴァルキの肖像》などでしょうか。バルトロメウス・スプランゲルの《オデュッセウスとキルケ》やダーフィット・テニールス(子)の《村の縁日》などは一見するとハプスブルク家とは直接関係ないような神話画、風俗画なのですが、よく見るとハプスブルク家に捧げられたメッセージが込められている作品です。
…私は11月の土曜日に見に行きましたが、混雑していてなかなか作品の一番前には行けなかったので、展示解説は図録で確かめることにして音声ガイドを聞きながら鑑賞しました。ベラスケスの《青いドレスの王女マルガリータテレサ》前は列ができていましたが、作品も大きいので比較的見やすかったです。ただ、緻密な版画や小型の工芸品をじっくり見るのは難しいかもしれません。なお、ヤン・ブリューゲル(父)の作品はデリケートなためか、作品から鑑賞者までかなりの距離が取られていました。所要時間は2時間程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

 2019年10月19日~2020年1月26日

【会場】

 国立西洋美術館

【構成】

Ⅰ章 ハプスブルク家のコレクションの始まり
Ⅱ章 ルドルフ2世とプラハの宮廷
Ⅲ章 コレクションの黄金時代:17世紀における偉大な収集
 1.スペイン・ハプスブルク家とレオポルト1世 
 2.フェルディナント・カールとティロルのコレクション
 3.レオポルト・ヴィルヘルム:芸術を愛したネーデルラント総督
Ⅳ章 18世紀におけるハプスブルク家と帝室ギャラリー
Ⅴ章 フランツ・ヨーゼフ1世の長き治世とオーストリアハンガリー二重帝国の終焉
…Ⅰ章は肖像画のほか、甲冑やタペストリー、異国の珍品を加工した工芸品なども展示されています。
…Ⅱ章はルドルフ2世の宮廷画家だったスプランゲルの絵画やイタリア・マニエリスムの彫刻家ジャンボローニャの作品に基づく彫刻など、その他デューラーの絵画やエングレーヴィングなどが展示されています。
…Ⅲ章は展覧会のメインで、ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータテレサ》はⅢ章1節に展示、Ⅲ章3節ではティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ルーベンスレンブラントなどイタリアやネーデルラントを代表する画家たちの作品が展示されています。
…Ⅳ章はハプスブルク家の人物の中でも特によく知られているマリア・テレジアマリー・アントワネット肖像画が展示されています。
…Ⅴ章は出品数は少ないですが、19世紀に首都ウィーンの都市基盤を整備し、ウィーン美術史美術館を設立した皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とその妃エリザベトの肖像画が展示されています。

habsburg2019.jp

ハプスブルク家の人物とコレクション】

マクシミリアン1世(1459~1519、神聖ローマ皇帝在位1508~1519)

ハプスブルク家中興の祖。巧みな婚姻政策を展開して領土を拡大し、ハプスブルク家による支配の礎を築いた。タペストリーの名品をはじめ、各種の美術工芸品を収集したほか、甲冑類の収集にも情熱を注いだ。

ルドルフ2世(1552~1612、神聖ローマ皇帝在位1576~1612)

ハプスブルク家のみならず、ヨーロッパ史上稀代のコレクターとして名高い。宮廷をウィーンからプラハへ移し、「クンストカマー(芸術の部屋)」と呼ばれる部屋を設けて百科全書的なコレクションを構築した。また、芸術家達の招聘にも熱心で、プラハは北方における後期マニエリスムの中心地となった。

フェリペ4世(1605~1665、スペイン王在位1621~1665)

…ベラスケスを宮廷画家に抜擢して重用し、ルーベンスを庇護するなど美術におけるスペインの黄金時代を築いた。フェリペ4世、及びその祖父フェリペ2世の収集したコレクションはスペインのプラド美術館の基礎となっている。

オポルト・ヴィルヘルム(1614~1662、スペイン領ネーデルラント総督1646~1656)

オーストリア大公。ネーデルラント総督としてブリュッセルに赴任した1646年から56年のあいだに、絵画だけでも約1400点にのぼる作品を収集したほか、神聖ローマ皇帝である兄フェルディナント3世のための絵画の収集も行った。レオポルト・ウィルヘルムがウィーンに持ち帰ったコレクションはウィーン美術史美術館の基礎となった。

マリア・テレジア(1717~1780、オーストリア女大公)

…啓蒙君主を代表する一人。ベルヴェデーレ宮殿に帝室画廊を移して、今日の美術館展示に繋がる画派別、時代順によるコレクションの陳列方法を導入したほか、一般大衆への公開を始めた。なお、女性は神聖ローマ皇帝になれなかったため、夫が神聖ローマ皇帝フランツ1世(在位1745~1765)として即位した。

フランツ・ヨーゼフ1世(1830~1916、オーストリア皇帝(1867年からはオーストリアハンガリー二重帝国皇帝)在位1848~1916)

オーストリアの実質的な最後の皇帝。ウィーンの近代的な都市開発で成果を上げた。市壁を取り壊して開通したリンク通り(リンクシュトラーセ)沿いには大学や国会議事堂など公共施設が建設され、1891年にはハプスブルク家のコレクションをまとめたウィーン美術史美術館も開館した。

感想

ジョルジョーネ《青年の肖像》(1508~1510年頃)

…右手を胸に当て、視線を落として物思いに耽る青年。青年の背後には青空が垣間見えていますが、元は青年が山岳風景を見つめる構図だったものが、現在のように曖昧な空間に閉ざされ、俯く目線に変更されたのだそうです。想像してみると、崇高なものに向かう精神の高揚から、内面的な深い思索に表現されるものの印象が変化する気がしますね。なお、青年の仕草は敬虔さを示していると考えられるものの、物思いの内容が宗教的なものなのかどうか、そもそもモデルが誰なのかも特定されていないそうです。しかし、何者であるか、何を思うのか分からなくとも、優美な佇まいや憂いを帯びた表情そのものが鑑賞者の眼を引きつけます。ベルンハルト・シュトリーゲルによる《ローマ王としてのマクシミリアン1世》(1507~1508年頃)は像主の容貌を忠実に捉えつつ、華やかな装飾と色彩で君主の勢威を表現している肖像画らしい肖像画だと思うのですが、王侯の肖像というスタンダードにモデルを当てはめている、記号的に描いている面があるように思います。このマクシミリアン1世とジョルジョーネの青年とがほぼ同年代の作品であると知って、ジョルジョーネの肖像画の新しさに正直驚きましたし、色彩の優位や叙情性といった特徴をはっきり感じることができました。抒情的な肖像画を発展させたジョルジョーネですが、表現されたイメージは時代も国も遠く離れた鑑賞者にもある種の情感を喚起する力があるように思います。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ベネデット・ヴァルキの肖像》(1540年頃)

…毛皮の縁飾りの付いた黒い外衣を纏って、あごひげを生やした壮年の男性。絵であることを感じさせないほど自然な色彩、特に手や顔の複雑な色合いは血の通った肌の生気を感じさせます。男性は小さな本を手に大理石の円柱の基台にもたれて、肩越しに振り返っていますが、曇りのない目で何を見据えているのか、あるいは見えない何かについて思いを巡らせているのでしょうか。目に宿る光には研ぎ澄まされた精神の明敏さが表れているように思います。この肖像画のモデルであるベネデット・ヴァルキは16世紀のフィレンツェの芸術理論家で、「パラゴーネ」(優劣比較論争)に関する二つの講演で名声を得た人物です。「パラゴーネ」は「比較」を意味するイタリア語で、ルネサンス期には諸芸術の比較論争、特に絵画と彫刻のどちらが優れているかという議論が芸術家たちも巻き込んで行われました*1。他のジャンルに対する絵画の優越を論じたヴァルキは、そのなかでティツィアーノの技量を称賛しているそうなので、きっとこの肖像画の出来栄えにも感嘆したでしょうね。

ティントレット《甲冑をつけた男性の肖像》(1555年頃)

…黒い甲冑を身につけて、腰に手を当て立つ男性。窓の外には海が広がり、空に垂れ込める不穏な暗雲は戦乱の兆しのようでもあります。やや赤みがかった血色の良い顔や短い髪などは、ジョルジョーネの《青年の肖像》に描かれたルネサンスの優美な貴公子とはまた雰囲気が異なりますね。男性はヴェネツィア海軍の軍人で、背後に描かれているガレー船の指揮官かもしれません。これから船に乗り込み戦場に向かうところなのでしょうか、活力に満ちて引き締まった顔つきですが、あくまで落ち着いた眼差しからは軍人としての確かな自信と誇り高さが感じられると思います。男性の背景には三本の円柱が立っていますが、円柱は他のいくつかの出品作でも人物に添えられていて、建築物の構造というよりある種の象徴だと思われます。柱が人を象徴するというのは少し不思議な感覚にも思えるのですが、日本語でも一家の大黒柱、組織の屋台骨といった例えでその人物が人々の要・支えであることを意味する言い回しがあるので、そう思ってみると何となく分かる気もします。土台のしっかりとした柱は人格の中枢を目に見える形で表したもので、人格が堅固で歪みがないこと、その人となりが優れていることの証のようなものでしょう。この作品では描かれている人物が甲冑を身につけた軍人ですから、まっすぐな柱のような揺るぎのなさ、勇敢さや高潔さを象徴しているのかもしれません。

ペーテル・パウルルーベンス工房《ユピテルとメルクリウスを歓待するフィレモンとバウキス》(1620~1625年頃)

…狭い室内でテーブルの周りに集まる四人の人物。白髪の老人フィレモンとその妻バウキスがもてなしていた二人の客人は実は神々で、この作品は真実を知った老夫婦が驚愕する場面を描いています。赤い服の若々しい美男子はトレードマークの帽子を被ったメルクリウス、画面左端で片肌を脱いだ神としての姿で描かれている壮年の男性がユピテルですね。胸に手を当てて畏まり許しを請うフィレモンと頬杖を突いて気さくな微笑みを浮かべるメルクリウスの対照的な表情や、袖をまくって中腰でガチョウを捕まえようとしているバウキスと手を差し伸べて静かにそれを制しているユピテルという静と動の組み合わせによって、動揺する人間と寛大な神々という対比が効果的に描写されています。ユピテルの逞しく盛り上がった彫刻的な腕やバウキスの動きの感じられるポーズなどには、ルーベンスの卓越した人体表現が感じられます。質素な室内は奥行きが浅く、舞台のセットのようでもあります。吊り下げられた灯りがつくり出す明暗のもと、劇的な瞬間を感情のドラマと動きのドラマとで表現した臨場感溢れる作品だと思います。

バルトロメウス・スプランゲル《オデュッセウスとキルケ》(1580~1585年頃)

…スプランゲル《オデュッセウスとキルケ》は複雑に絡み合いながらバランスが保たれているオデュッセウスとキルケのポーズが目を引く作品です。オデュッセウスの赤い衣と、キルケの青いドレスの対比が鮮やかで、キルケの装身具や複雑な形に結われた髪型など細部への拘りも感じられます。キルケの魔法で馬や獅子、狐といった動物に変えられてしまった部下達は救いを求めて懇願するようにオデュッセウスを取り囲んでいますが、部下を助けようとするオデュッセウスは臣民を庇護する皇帝と重ね合わされていて、皇帝を称揚するために好んで描かれたのだそうです。周りの獣たちに対して、画面の中心の二人の人物はスポットライトが当たっているように明るく鮮やかな色彩で描かれ、特にキルケの白い肌は陶器のように滑らかで冷ややかな印象です。キルケの背後には故郷を忘れさせるという危険な魔法の酒と杯も見えますね。キルケの企みを退けようと顔を背けながらも誘惑に抗いきれず足を絡ませているオデュッセウスと、オデュッセウスに言い寄り引き寄せながら魔法の杖を振りかざそうと構えているキルケの、行動と感情のねじれがそのまま身体のポーズとして現れているかのように見える作品だと思います。

ダーフィット・テニールス(子)《村の縁日》(1647年頃)

…この作品は村の教会の開基祭を描いたものだそうです。しかし、画面左手に十字の記された赤い旗がはためいているものの肝心の教会は見当たらず、祭りの舞台は宿屋の前で、晴れた空の下、村人達が食事をしたりバグパイプに合わせて踊ったりしています。中には女性に言い寄る男性や男性を連れ出そうとしている女性の姿も見受けられますが、画面右奥では村人達がメイポールの周りで踊っているので、そもそもは豊穣や多産を祝う祭りだったものにあとから教会の創立という名目が加わったのかもしれません。画面右下の身なりの良い一行は都市の市民とのことで、宿の客なのでしょう。豊かな自然や珍しい風俗、素朴さや郷愁を求めて農村の祭りを見物に来る、ある種の観光をする習慣がこの時代にもあったんですね。浮かれた騒ぎのなかで、犬を連れ杖を手にした旅人だけが一人静かに佇んでいますが、旅人の正面、宿屋の壁にはオーストリア大公国及びハプスブルク家の紋章が掲げられています。東洋にも鼓腹撃壌という言葉がありますが、陽気で賑やかな農村の祝祭を描きつつ、平和で安楽な生活を送ることができる善政を讃えた作品だと思います。

ディエゴ・ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータテレサ》(1659年)

肖像画のモデル、マルガリータテレサはベラスケスの傑作《ラス・メニーナス》にも描かれたスペイン国王フェリペ4世の王女です。この肖像画は彼女が8歳のときに描かれた作品で、婚約者である神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世のもとへ、健康に成長している様子を知らせるためにウィーンに送られたそうです。王女は幼いながらも気品が感じられる顔つきで、豊かな金髪と銀糸で装飾された豪華な青いドレスとの対比が鮮やかです。左右に大きく張り出した特徴的なスカートは「グアルダインファンテ(子供隠し)」という17世紀中盤にスペイン宮廷で流行した形状で、画面前方に窓があるのか、薄暗い室内で佇む王女の姿のみが隈無くくっきりと明るく描き出されています。ドレスの光沢や装飾品のきらめきは自在な筆捌きで再現され、人物の明暗は控えめで平面的と言ってもよく、手や顔の輪郭は薄いグレーで縁取られています。王女の背後には時計やライオンの置物が飾られたコンソールテーブルが置かれている一方で、他の肖像画でしばしば見かける円柱やカーテンは見当たりません。対象となる人物を説明的に描写せず、目の前にいるモデルをありのまま描くことで本質を捉えようとするリアリズムがベラスケスの特徴なのだと改めて感じました。おそらくは王女の居室の様子がそのまま描かれていることで、ほぼ等身大の肖像画を前にしたレオポルト1世は、まさに王女の部屋に入って彼女と対面したような感覚を味わったのではないでしょうか。光り輝く王女にはスペイン宮廷の希望、オーストリアとスペイン両ハプスブルク家の未来を願う気持ちも込められていたのだろうと思いました。

マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン《フランス王妃マリー・アントワネットの肖像》(1778年)、ヴィクトール・シュタウファー《オーストリアハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の肖像》(1916年頃)

マリー・アントワネットの肖像はしばしば目にする機会があるのですが、ヴィジェ=ルブランのこの肖像画は、とりわけ鼻や目の形などにハプスブルク一族の人物らしい特徴が見て取れました。調度品などのデティールや色遣いはデリケートですが、一際豪華で壮麗な空間の演出はフランスの強大な国力を感じさせます。若いアントワネットはレースとリボンがふんだんにあしらわれた真珠色のドレスをまとい、自信に満ちた表情を浮かべています。バラを手にした姿はさながら美の女神といったところで、画家はそのような彼女の在り方、あるいは思いを汲み取って表現していると思います。ただ、可愛らしすぎる出で立ちはアイドルのようでもあり、肖像画を見た母マリア・テレジアが不安を覚えたのも無理はないように思いました。
…フランツ・ヨーゼフ1世の肖像を見たときは不思議な感覚を覚えました。人物の特徴を緻密に捉えつつ、皇帝としての威厳を感じさせる肖像なのですが、写真や映像による記録が残り、一方で絵画の表現は大きく変化して、オーストリアであればクリムトやシーレなどの作品も存在している20世紀に、中世以来の伝統を踏まえた古風な表現が居心地悪そうな印象を受けました。神聖ローマ帝国は解体されてすでになく、ハプスブルク家による統治の体制も、その統治者たちを賛美してきた表現も、変わりゆく世界とそぐわなくなりつつあることを感じさせる作品だと思います。

*1:『レオナルド×ミケランジェロ展』(2017年、三菱一号館美術館)P60